瀞音の戦後80年目の談話

今年戦後80年目の節目の時。

80年と言えば大分古い時代に感じる。令和→平成→昭和。年号は2回変わっている。

令和生まれの子供からすれば、昭和の時代は、侍が刀を腰に携えて歩いていた江戸時代の様に感じるかもしれない。

自分からすれば、今年50歳でその30年前。平成の31年を足した年数と同じで決してそんな昔の時代ではない事に驚く事がある。

真珠湾攻撃から開戦し3年9か月後。ポツダム宣言を受け入れて敗戦し、日本人の民族と誇り以外は全て失った。

でも日本人は強かった。戦後からの復興は目まぐるしく、1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」と記された。

だが。経済は復興しても、日本は現在に至るまで様々な問題を残す事になる。

広島。長崎に投下された原子爆弾は、今だ被ばく者と遺族に悲しみを与え、世界を見れば核を武装し抑止力とする国家は少なくない。関係者の核兵器廃絶の願いは今だ叶えられていない。

また。敗戦の日にはタブーがあり、靖国神社の参拝。私人(遺族)の参拝には気にもかけないマスコミは、公人(特に政治家)が参拝するとやれ、どこどこ党の誰誰が参拝した。何々党が参拝したとニュースに毎年なる。

2021年7月靖国神社にて

特に今年は80年の節目にあたり、大きく公約に入れた政党は参拝を行いニュースになっている。この事は良い。控えた方がいいと言う話ではなく。もうこのタブーを無くしませんかと言う話。誰が参拝しても、どんな立場の誰が参拝してもニュースにする事がおかしいと言っている。

私も以前に4回ほど参拝させていただいている。最初は日本のタブーの神社はどの様な所なのか、戦々恐々とした思いで初めて鳥居から礼をして参拝した事を今でも覚えている。だが。その感覚は大いに間違っていた事を感じた。静かで、とても優しい空気が流れる場所であった。物々しい印象はマスコミが作り出したものであり、そこに祀られている英霊は決してそれを望んではいないと感じた。

タブーは皇族が参拝を控えている(行っていない)。東京裁判という後付けで作られた戦犯となった政治家が合祀されているからだ。戦犯は罪の種類であり罪の重さではない。A級戦犯が合祀されている。さも重罪が合祀されている様に思いこまされている。靖国神社の参拝は勝戦国が作り出した悪と言っていいと思う。

だが、実際軍部と政治家の暴走により戦争は深刻極まりない戦況となり、本土決戦。日本人という民族が世界から消え失せるかもしれない状況まで進んでしまった。これは現在の政治家は先人の過ちを知り、自分たちがしなければいけない、後世に受け継いでいかなければいけない事であることは確かである。

日本は戦後。戦争を知らない世代が多くを占める時代になった。先人の方々は何を思い、何を後世に残そうと思い戦ったのか。そして自分が死んだとしても子供、孫、その後の永遠の子孫が平和に暮らせる様にと思ったのではないかと、自分は思っている。絶対戦争をしない。この思いは絶対であり守らなければいけない事である。

戦中の方々は高齢になり、平和を受け継いでいく時間が少なくなっている事は確かだと思う。戦争の悲惨さを伝える事が、最後の願いとしている人も居るに違いない。

私のような年配に入る世代が、戦争を知らない若い世代にどう伝えていくのか。どの様に問題。タブーを無くし素直に平和を願う状況を作っていくかが、現在の大人の使命だと思っている。

タイトルとURLをコピーしました