2025年夏。
戦後80年の節目にあたりテレビでは特集を組んでいる。
戦後80年ということは、原子爆弾が投下されて80年になる。80年と言っても自分が50歳として、その30年前に戦後となる。30年と言えば平成は31年間であり昔の話ではない。
日本。特に広島、長崎では爆弾という意味だけではなく、忘れてはいけない出来事となっている。
原子爆弾を世界で二度と使用されることがないように、各団体、個人レベルで訴えている。
だが、原子爆弾はなぜか日本のタブーとなっている。8月になると6日は広島。9日では長崎で慰霊の祈りが捧げられていが。
核拡散防止条約には署名・批准済みではあるが、核兵器禁止条約には署名・批准していない。日本はアメリカの「核の傘(拡大抑止)」に依存しており、同盟国であるアメリカなどが参加していない事が大きな理由と言っていい。
また、オールドメディア(テレビ)では核の悲惨さや慰霊の番組を作成し放送しているが、核兵器を使用した事に大きく非難する放送は少ない。
原子爆弾使用に対し昭和天皇は、2014年昭和天皇実録にて「広島・長崎の原爆は誠に気の毒であった。しかし、これによって戦争終結が早まり、結果として国民の被害も少なく済んだのではないかと思う」とお言葉を残しています。
昭和天皇が原子爆弾を容認しているかもしれないお言葉を残している。
核兵器禁止条約の未署名及び、昭和天皇のお言葉により日本は国をあげて使用及び、国を非難することがタブーになっているのではないかと考えている。
平和記念館には多くの海外の人が訪れ原子爆弾の悲惨さを目の当たりにしている。原子爆弾を使用したことは許されていいことなのか。
アメリカでの原子爆弾投下について世論調査では。
1945年では、支持85%、反対は10%未満となっていた事に対し、2025年最新の世論調査では、賛成35%反対31%わからない33%となっています。わからないという選択肢が増えたことにより、意見の割れがあったとしても、アメリカでは支持が大きく減少している事がわかる。
日本ではどうだろうか。反対(正当化できない)79%。賛成(正当化できる)14%、わからない7%となっており、日本では戦争被害の当事国として、原爆への強い否定的認識が根強く、歴史教育や被爆体験、平和教育を通じ、て、原爆の使用は倫理的に許容できないとの見方が社会に浸透している。
村山首相の「核兵器の究極の廃絶」。岸田首相の「惨禍を繰り返してはならない」「核兵器のない世界」をコメントしている。

平和記念館で平和への思いを語る少年にアメリカ人(おそらく)が問いました。
「アメリカ人の事が憎いですか?」
少年は答えました。「いいえ。私はアメリカ人を憎んでいません。憎しみは何も生まれないからです。私は過去から学んで、未来を変えたいんです。」
この発言は、被爆地の若者が「赦しと希望」を語ったこととして、国内外で大きな感動を呼びました。
私は思います。日本(人)は原子爆弾が使用されたことは許されることはできないが。使用禁止、平和への願いが強いと思えます。
80年経ってもう廃絶はできないかもしれない。原子爆弾が初めて使用された広島は変えることはできないが、原子爆弾が最後に使用されたのが長崎である事未来変わらない事が日本の願いである。