うちの実家は何代か続いている米農家で、それなりの水田で米作をしていました。
米作では大規模というわけではないため、いつもぎりぎりの生活で、どちらかと言えば貧乏な農家でした。
長男が実家を出て東京に就職し、自分も後を継ぐことはなく東京に就職したため、その時点で実家の米農家は廃業となったのです。自分がいなくなっても少しは米作をしていましたが体力が続かず廃業というかたちをとりました。
兄弟の中では自分がよく手伝っていた方でしたが、父親は後を継いでほしいとは一言も言いませんでした。それだけ米農家は辛く報われない職業と思っていたのでしょうか。息子に継がせたくないと思っていても、それでも息子に期待を持っていたかもしれませんが、他界した今となっては確認することができません。
米農家が廃業するともちろん収入は入ってきません。そのため家族は散々となり、母も離婚し水田はすべて手放す事になりました。これは廃業した実家だけかもしれませんが、その末路は酷いものでした。
自分が子供だった40年前。まだ実家は多くの米作をしていましたが、国の政策の減反(米を作る量を減らす政策)政策が行われ始めじわじわと米を作ることが(少なく)できなくなりました。
実家だけの話かもしれないが、この減反政策は農家にとって致命的な政策で収入が少なくなる死活問題でした。
時代は米農家を減らす大きな変化点となったのです。
子供のころは貧乏でしたが、明日食べれるものが無いという程ではなかったと記憶していますが、小学生年少の記憶なので、はっきりはしていません。
そこで大きな出来事が2つ起きます。1983年に発生した、日本海中部地震で自宅は半壊して住むことができなくなりました。そこまで裕福ではない実家は家を新築することになりました。ここでかなりの借金をしました。もう一つは1993年の平成の米騒動。全国的な冷夏に見舞われてまったく米が収穫できない年がありました。この時も生活が成り立たず借金をしました。
ここからJAについて語らさせてもらうのですが、ざっとJAとはどんな組織なのか説明すると。

JAはグループであり株式会社では(まだ)ありません。全国の組合員、準組合員の相互の互助会です。
自分が語りたい所は、地域のJAの部分です。地方のいち農家が都道府県、全国の部分にかかわりを持つことはまずないです。
地域のどんな過疎地でもJAはあります。気づくとJAがあったなと思われる人も多いはずです。
地域のJAの役割は。①営農指導。②農産物販売、資材提供など。③貯金貸し付けなど。④共済(保険)。⑤医療・福祉
①営農指導では、米作りでの技術指導や減反政策に対抗するための農作技術の指導をしてもらいました。時々JAから人が来て色々と話していたのを覚えています。
②農産物販売、資材提供では、直販売、肥料などの販売を支援しています。ちなみに肥料の販売とありますが、組合員だからと言って必ずJAから買わないといけないというわけではありません。他で買いたい場合は自由に選択できます。
ただここで一つだけ田舎の仕組み、悪く言うとしがらみ、みたいなものがあり、肥料の仕入れや、生産した米の売り先はJAと暗黙の了解で決まっていました。もちろん生産した米もJAに買い取ってもらわなければいけないルールもありません。その頃はJAが農家を取り仕切っていたことは真実だと思います。でもその分JAからの恩恵は大きいです。令和の現代では稲作農家の規模が株式会社として成立していて、自分でも直接卸売業者、個人に販売できるノウハウがある農家はJAを通さずに米を販売しているが現状です。
③貯金貸し付けなどでは、先ほど書いた大きな災害があり住むところも困るとき、JAからお金を借りてしのぎました。また、今だから言っていいかわかりませんが、長い間借りていましたが、返してくれれば何年でも待つよというスタンスでした。このことで我が家は大分助かったのです。田舎の助け合いと言うものがあり、ある時冷蔵庫が壊れてしまいました。夏場なので食品が傷みますが、その以上に秋前なので収入現金がありません。その時近くの電気屋さんで冷蔵庫を買います。昔の値段としても10万円はします。その時の支払いが米が収穫してお金が入ったら支払う、つけがきいたのです。今では考えられないことですが、秋の収入が約束されていること、地域性もありそれがあり得た時代でした。
⑤医療・福祉では村に小さな診療所があって病気になると先生に診てもらい、お薬。その当時は注射が多かったのを覚えています。
JA全農Aコープやガソリンスタンドを経営していてどんな過疎地でも生活に困る人が出ないようにしています。これが互助会の所以です。一つのJAが赤字ならば他のJAの黒字部分で補うそれがJAです。そして農家に寄り添うのがJAだと自分は思っています。
40年前だってJAを通さずに米を売らないかという業者はいました。家を一軒一軒回って営業していました。もちろん買い取り金額はJAより高価買取です。実家も話があり売るかどうかの話は出ていましたが、本来のJAを通しての販売にこだわり、ほかの業者に販売することはありませんでした。これは良くても悪くても地域の暗黙のルールだったと思います。平成の米騒動の時はお米の単価が高く、特にお餅の米の値段がえげつない値段でした。でも自分体で食べる分もあり売ることはありませんでした。
令和の米騒動ではJAが悪いと言われていますが、自分が今まで受けてきたJAの恩恵は忘れる事はなくいつまでも心の中で感謝しています。
JAが悪いといっている人はJAを利用した事がない人もしくは、大規模な農家さんではないでしょうか。
JAに見切りをつけた米農家(株式会社された大規模な農家)はJAのやり方では儲からないという人もいることは確かです。
でも、世の中そんな大規模な農家さんだけではありません。小さくても先祖代々の土地を懸命に守ろうとしている沢山の農家さんがいることも確かです。

ここで農林水産省の資料より引用しますが、備蓄米の経費・利益の上乗せ額はJAで玄米ベース60キロで961円。5キロで80円に下げています。通常は200円です。米価を少しでも下げるためです。その反面、卸売業者が通常4689円を7593円に値上げしています。それでも5キロで632円です。
これは値段を釣り上げているというより、必要経費と言えると思っています。
そうなると国の政策で2000円台の米が普通と感じてしまうのはとても危険なことです。減反政策で米農家と米作が需要より供給が下回ってしまったいま現在。米は高いというターンに入ったと思っていいと思います。
農家は消費者にとっての悪ではなく、今までの減反政策と高齢化が米の価格をもとに戻らないところまで追い込んだ国の失策が今の騒動を起こしていると思っています。
国の政策で全てが変わり、すべてが決まります。あと10年もすれば日本人は日本の米ではなく輸入米カルフォルニア米を日々食べる事でしょう。それを食い止めるのかは国のこれからの政策で決まると思っています。事態は緊急を要ししかも絶望的です。JAは解体されて海外の資本が入り売り飛ばされるかもしれません。(実際そうなると思います)
いま農業に何が起きているのか。知ることは大切です。