僕たちは走っていた。目的地と言うよりまさに目の前に止まっている路線バスに乗るために。
だけど、あと50メートルも無い距離で、無情にもバスは走り出してしましった。
ふたりとも息を切らしながら走るスピードを緩めていった。
目的のバスが走り去った後のバス停に到着した。彼女は時刻表を指でなぞりながら、腕時計を見るとあからさまに肩を落としていた。
僕も結果はわかっているのに、時刻表を見た。次のバスまで40分はある。
海辺の海岸線に沿う様に走っている幹線道路。でも、幹線道路は名ばかりで走っている車はまばらだった。
「もう!拓海が忘れ物を取りに行ったから乗れなかったんだよ。」
僕の方を見て、責めるような目つきで僕を睨んでいるのは、同じクラスの悠と言うクラスメイトだった。住んでいる所は田舎で、小中高と同じ学校で家族より話す時間が多いのではと思うぐらい一緒にいた。
時間はちょうど16時。夏という事もあり、周りはまだ明るく太陽もまだ水平線の上にいて、僕たちに熱気を降り注いでいた。
「しょうがないじゃないか。」
「あら、もしかして、逆ギレ?」
今の彼女には何を言っても駄目だと思い、言いたいことを飲み込んだ。
「今度はシカト?」
彼女の猛攻撃は止みそうにない。
海から風が吹いて、彼女のスカートを揺らしていた。暑さの為か髪はポニーテールで縛っている。
僕は立っていても仕方がないので、バス停の色褪せたプラスチックのベンチに座った。悠もため息をつくと隣に座った。
しばらくふたりとも何も喋らなかったが、
「最後の夏休みね。」
今日は一学期の終業式で明日らか夏休みが始まる。だから忘れ物をとりに学校に戻った。明日誰もいない学校に入るわけにはいかないので、慌てて引き返して今この状態になった。
彼女の言う最後の夏休みというのは、学生生活で最後ということを意味すると自分なりに思っていた。
「拓海は休み何するの?。あー。またどうせゲームばっかりしているんでしょ。」
「そんな事ないよ」
そのあとを続けて言えないのは、ほぼ図星という事だった。
「あっという間に夏休みなんて終わるわ。拓海は向こうでも頑張ってね。」
悠はどこを見ているわけでもなく、ぼーとしながら独り言の様につぶやいた。
向こうでも。とは夏休みが終わって二学期から学校が変わる。よく聞く親の転勤で。
「去年。海岸で花火したの楽しかったわね。」
「ああ。」
2人きりで花火をして、僕は両親から酷く怒られた思い出しかない。彼女は終始楽しそうに笑っていて、童心に帰ったかの様だった。
小学校の頃だろうか。その時は双方の両親と一緒に庭で花火をしていた。悠は怖がって花火を持とうともしなかった。今では、危ないよと言っても聞かずに火の付いた花火を振り回して笑っていた。
そんな事も過去のことで、今ここにいる2人の時間もいずれは過去となってしまうだろう。
なんだろう。このモヤモヤした感情は。口から出して言えればどんなにスッキリするだろう。
でも、言えない。それでも次のバスが来るまでに伝えなくては、もう告白する機会はなくなる。
私は、ちょっとイライラしていた。何かは知らないけど忘れ物ををした。拓海を待っていた。容赦なく照らされている太陽のせいもあるかもしれない。
昔から鈍臭い所があって、あまりもの事をはっきり言わない所があった。何を一体忘れて私を待たせているのか。
やっと現れた拓海は悪びた感じもなく、靴を履いている。
「もう急いでよ。」
私には時間があまりなかった。あと15分後には帰りのバスが出てしまう。
そして、私には15分後にバス停にいなくてはいけない理由があった。
私は拓海を待つ事なく、走り出した。
拓海は後ろから走って着いてくる。一緒に帰るのがこれが最後なのになんで私は走っているのだろう。
今までの思い出を追いかける様に。
そんな。私の気持ちと行動が違う。私は走りたくない。できれば腕を繋いで帰りたい。
私は寂しい気持ちでいっぱいだった。
バスに乗るまでに伝えたかったことがあった。
いなくなる事がとても寂しい事。そして友達という気持ちではなく。素直に好きという事。
バス停について何分経ったんだろうか。夕方の海からの風だけが2人の間を通って行く。
2人とも話さない。伝えたい事は沢山あるのに。
「僕は。」
「うん?」
悠が僕の方を見た。
「僕は悠と一緒に居れて楽しかったよ。」
「私も楽しかったわ。」
そんな事じゃない。僕が。私が。伝えたい事は。
遠くにバスの音が聞こえてきた。
時間が来た様だ。
バスが停留所に止まってドアが開く。
悠は静かに立つとバスの中に消えていった。
ドアが閉まって。バスが走り出した。
バスは加速してもう大分小さくなった。
[ブルブル]スマホが着信を伝えていた。
待受には悠からの着信が表示されている。
(今までありがとう。バイバイ。)
僕はアプリを開く気になれなかった。このメッセージを受け取ると2人の関係が終わってしまう気がして。
スマホをカバンにしまうと、さっき学校に忘れた小さな袋がカバンの中に入っていた。最後に渡そうと用意したものだった。
悠の普段着に似合う様に色々と悩んで買ったもので、メッセージカードをつけていた。きっと口では言えないから、カードだけでも。
でもこれも必要無くなった。
僕は歩き出す。逆方向に。ふたりの距離がまた遠くなる。
また。スマホにメッセージが届いた。
(きっと。見ないと思うから)
僕はスマホの画面を見た。ロックが外れてSNSを開いた。
(きっと。見ないと思うから)
こんなに失うものが大きいのなら、私は自身に嘘をついて誤魔化すの。
いくら自分に嘘をついても。。。
スマホが震えた。SNSの通知を知らせていた。
『ありがとう。バイバイ。』
僕は返事が思いつかず。
『うん。』だけ入力して送信した。
そのメッセージが既読になる事は無かった。
自分への嘘は、全く無意味だ。本当の答えを知っているから。
立ち止まった。伝えなくては。
僕は振り返って走り出した。
息が上がって苦しくても、この気持ちの痛さには敵わない。
遠くの方に。人が立っている。
僕は大声で叫んだ。
「悠!!」
「拓海!!」
悠も僕の名前を叫んだ。
今行くよ。手放したくない。一生手放したくない。悠。
拓海が走って来るのが見えた。
すぐに会いたい。目の前に。その存在を確かめたい。
私は走った。
僕の前に。私の前に。
大切な人が。目の前にいる。
「ありがとう。会いにきてくれて。」
「ありがとう。待ってくれて。」
息を整えながらお互いの顔を見た。
そして、またふたりの間に静かな時間が割って入る。
僕はカバンからさっきの袋を取り出すと。
「悠。目を閉じて。」
え。私は想像もしていない言葉に自分を見失いそうになる。
静かに目を閉じると。拓海の腕が私を優しく包み込んでそして重さを感じる。
「いいよ。目を開けて。」
私は幸せと共に拓海が付けてくれた物を見た。
そして。泪がこぼれ落ちる。
それはもう私は前から幸せを手にしていたんだと。
あたたかい泪が頬を伝ってきた。
拓海は私の顔の泪を拭いてくれた。
私はその手を握って背伸びをした。
音が消えて、海の波だけ聞こえた。
僕は悠の手を優しく握って一緒に歩き出した。
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校長先生の長い話には、飽き飽きしていた。
まだ蝉が鳴いていて、夏は終わっていない。
二学期が始まった。
いつもの学校なのに、何か違っていた。
拓海の席には誰も座っていない。
廊下を歩きながら、私は誰かに声をかけられた様な気がして、後ろを振り返った。
誰もいない。
でも、寂しくなかった。
胸に手を当てて、そして歩き出した。
スマホの待受はあの時の二人で撮った写真。
ふたりで恥ずかしそうに収まっていた。
伝える事ができてよかった。
もう会えないかもしれないとしても。後悔はなかった。