報道のあり方

今始まった話ではないけれど、報道としてそれはありなのかと思う事があります。

最近は誰でもスマホを持っているので、すぐに動画や写真を撮ることが容易になりました。

そう言う意味では誰もが報道のカメラマンになる事ができる世の中です。

自分もどちらかと言うと何かがあると写真を撮る、言わば報道の側の人間に近いと思います。

自分が撮ったスクープをSNSに載せて話題になりたい。いいねを付けてもらいたい。リツイートしてもらいたい。写真、動画を撮る人はそう思っての行動と自分は思います。

自分はモラル的にどうなのかを考えてSNSに載せるのか判断します。

もちろん撮影自体しない場合もあります。

最近特に思うのですが、報道のモラルが下がっていて酷いなと感じています。

まあ。前からですが。

先日、起きた京王線の事件。

停車駅では緊急車両に救急隊。野次馬とごった返す状況でした。

その中で発生から間もないのに、報道陣の多いこと。一体どこから来たのか大勢いのカメラマンがスクープを撮ろうと躍起になっていました。

その中で自分が撮影したのですが、わざわざ脚立に登って駅の中を撮影しようとしています。救急隊の関係者が目隠しをしてもこの様な状態です。

被害者の心情は関係なく、カメラに何かを撮ろうとしています。

そこまでするのか。それを撮影してテレビで放送するのか。カメラマンのモラルを疑います。

先日の大阪ビル火災で遺族がビルの前で泣き崩れているのを、わざわざ横でカメラで撮影いています。

悲しんでいる遺族を撮影するのが、どれだけの価値があるのか。そこは撮影せず見守るべきではないでしょうか。

神田沙也加さんの事でも神田正樹さんと松田聖子さんの会見の時。

二人にかけられた。「今のお気持ちは。」

どこの記者が言ったのかはわかりませんが、あまりにも心無い行動と発言に怒りさえ感じます。

それにあわせ、報道がいかにも自死したかの様に報道します。実は事故の可能性もありうるのに。

世間は自死したんだなと思わされ、事実は時間の中に埋もれていきます。

実際そうだったとしても心ある報道がないのかと思うのです。

昼のワイドショーは酷いの一言です。

自分も報道側になりうる立場ですが、ふと立ち止まってスマホの撮影が問題ないのか考えて撮影を心がけていきたいです。

それでも目の前に大きなスクープがあれば自分もスマホで撮っていると思います。

偉そうな事を言っていても自分も結局は同じ報道側の人間だと感じています。

そこまでするのかと。一線を越えるか超えないのか。人として心は持っているのか。

過激な情報ばかりではなく、弱者が救われる報道。他人を傷つけない報道をしてほしいと願っています。

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