あなたの知らない世界

あなたの知らない世界は昔日本テレビでやっていた怖い話の番組のタイトルです。

今回はあなたが普段生活するうえで、おそらく知ることのない世界をお話します。

怖い話かも知れません。決してあなた一人きりで夜中には読まないでください。
ちゃんと忠告しましたよ。
それでも読まれる方は次の行から始まります。

いつだったか夏の頃。
親父と何かの用の帰り、車で帰る途中だった。
突然、親父は帰り道と違う方向に、ハンドルを切った。

湖のような道を抜け、あるところについて車はとまった。
賽の河原と書いている。あたりは線香のにおいがする。
二人で奥に進む、周りには地蔵が数え切れないぐらい奉られている。
風車が風に吹かれてカラカラと乾いた音を出しながらまわっていた。
石が積み上げてあり何か寂しさを感じた。
本堂につくと入り口の近くに、お婆さんを中心に人が集まり熱心に話を聞いていた。
後から分かったのだが、イタコの口寄せだった。
中は沢山の地蔵が安置されている。
さらに奥に進むと20段ぐらい階段状になった所があり、横が20メートル高さが10メートルぐらい。そこに数え切れないほどの地蔵が安置されている。
そこの一番前には草履、サンダル靴が供えられている。壁には着物、スーツなどがかけられている。
あの世に行っても、着るもの履くものに困らないために、お供えされたものだという。
驚いたことに、夏になれば夏服、冬になればちゃんと冬服になるという。
その光景はうまく表現できないが、何故か怖さを感じない。
家族の愛情さえ感じるところだった。
本堂を後にし、隣の人形堂に入るとそこには無数の男性の紋付き袴、女性の白無垢の人形が奉られている。ここは結婚する前に亡くなった方が神様があの世で結婚させてもらえるという話があり、未婚だった方に相手の人形に仮想の名前を書き、合わせて奉納しているという。
ここにも家族の愛情があった
もう一カ所の人形堂には兵隊の格好をした遺影が壁一面奉られている。その隣には寄り添うように白無垢の人形が奉られている。
ここは太平洋戦争で戦地で亡くなった方の結婚させてあげたいという親心を垣間見れるところだった。

少し長くなりますが説明があったので載せておきます。

賽の河原とは
幼くして、親よりも早く亡くなった子どもが行き、いつ終わるともなく石を積み続けるという苦を受ける、三途の川の河原を“賽の河原”といいます。現世と来世の境界にあるとか、冥土の手前にあるといわれています。観念上の地獄の一つですが、これを現世に現出させた場所でもあります。平安時代の僧・空也による西院河原地蔵和讃の「一重組(積)んでは父のため、二重組(積)んでは母のため」という哀しい旋律が涙を誘い、ここは子どもの霊が浮遊する霊地というイメージがあります。
  中世以降、多くの女性たちがこの場所で今は亡き子どもの冥福を祈り、罪悪感に責めさいなまれている自分を慰めてきました。

あるWebページに
本に出ていた言い伝えをかいていたものがあったので転記させてもらいました。

暗くなってから水辺を通ると闇の中で子どもの声が聞こえたり、雨上がりの朝に水際に小さな足跡がついていることもある。
亡くなった子供の着物等を地蔵堂に安置し、毎年着物を取り替える。身内で病気が出た時には、その着物を借りてきて病人に着せると早く治る。地蔵にお参りすると病気が治る。布で地蔵をなでて、その布で自分の悪いところをさすると病気が治る。病気が重いときは地蔵を家に連れて行き、地蔵と病人をかわるがわるなでて祈る。赤ちゃんが熱を出したら、地蔵を抱かせると熱が下がる。
この地方で人が亡くなると賽の河原に魂が行く。
(昔の言い伝え)賽の河原で積まれている石は亡くなった子供が積むが、例大祭の23日だけは鬼が出てこない。その日は子供だけでなくその親も一緒に石を積む。
賽の河原では亡くなった子供がたくさんさまよっていて、そこに穴を掘るとその中から子供たちの笑い声や泣き声が聞こえる。雨の日などには子供たちの声がガヤガヤと聞こえてくる。
昭和31年8月20日、泉谷惣太郎という人が仕事中にナタがそれて左ひざにあたった。ところが刃跡はあるが切れてはいない。それから地蔵尊にお参りにいったところ、地蔵の左ひざのところが切れていた。賽の河原身代わり延命地蔵尊に実際にあった話として伝わっている。

どうでしょうか。
怖かったでしょうか。
自分も最初は驚き戸惑いました。
ですがそこに奉られている地蔵、物について知ると不思議と穏やかな気持ちさえなります。
ここでお話は終わりです。
上手く伝えられないところもあったと思います。もしもっと知りたい方は、川倉賽の河原で検索してください。

日常ではふれることのない感覚になっていくことを感じると思います。

最後に親父になんでここによったのか聞いたのですが。
親父はわからない、何かそこに行かなきゃいけない気がした。
そうしたら自然とそこに向かってたそうです。

偶然でしょうか。あなたはどう感じますか。