10月15日。東京は時より雨の降る落ち着かない曇り空。
その中、瀞音さんは自転車でお使いです。神保町から新橋までの旅。
片道30分のサイクリングでしょうか。
用事も終わり帰り道に大手町を通ります。ビジネス街の中、皇居を見ると大手町の名前の由来になった大手門があります。
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江戸城の正面玄関で、江戸時代は譜代大名のみに許された土地です。
大手門を撮影しましたが、見るとなんだか小さいです。
写真の距離感ではなく、実際に小さいです。
傍に大手門の説明書きがあります。
それを読みます。ふむふむ。
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そこに意外な人物の名前がありました。
『藤堂高虎』戦国武将でのちに大名にまでなった人物です。
築城の知識が高く沢山の城を築いた事は知ってましたが、初代大手門を作ったのが、
藤堂高虎とは知りませんでした。
先ほども書いた様に築城の知識は高く、この人物の名前はよく出ます。
また、水軍の指揮能力も高く、秀吉時代に朝鮮出兵でも名前を轟かせています。
七度、別の主君に仕えその都度に知行(簡単に言うと給料)を上げていき外様大名でありながら(ここで言う外様大名の表現は正しくないかもしれません)家康の信頼が厚く、最期の際、枕元にいる事を許された数少ない人物です。
個人的には大河ドラマで、『黒田官兵衛』、『真田幸村』、『明智光秀』ときて
なぜ、藤堂高虎がこないのか疑問しかありません。出世街道は秀吉より地味ですが、かなりハードです。物語としてはこれ以上ない人物でしょう。よって猛烈に推薦しますね。
今風に言うと正社員からフリーター落ちても就職して、次々と会社を変わり(裏切りなし)キャリアアップ、それに合わせて給料アップ。最終的には国の大臣クラスまでなった人物。
今治の地はこの藤堂高虎が名付け親で、バリィさんの名付け親と言っても過言ではありません。
まさに猛将とは、『藤堂高虎』のことを言うのだと思います。
そんな、大手町の大手門からの歴史探訪です。