8月9日といえば長崎に原爆が投下された75年目の日です。
過ぎてしましましたが、8月6日は広島に原爆投が下された75年目です。
毎年、核兵器の廃絶、破棄を平和宣言で訴えていますが、なかなか道が遠い様です。
その反対に核兵器の不要論。先の大戦での使用は不要だったとアメリカでは論説を掲載しているメディアもあります。(ここが日本と大きく違うところだと自分は感じています)
それでも核がなくならないのは、まさに抑制力が全です。日本の戦国時代も火器(火縄銃等)で戦乱は早く終わりを告げました。強靭な力のある兵器によって抑制のバランスが発生して終わりを告げたのです。
現代は力のバランス。抑制力が必要な悲しい世界の姿があります。
核兵器に恐怖を感じるのは実は兵器では無く、その兵器の後ろに隠れている人間にあると感じています。
核の世界を始めてしまった国こそが、率先して核の世界を終わらせて欲しいと思います。
その時は実はもうそこまで来ているのかもしれません。
ただ残念な事に、その世界的な瞬間に日本は関わる事はないでしょう。
実際経験をした国の政府が後ろ向きで、意識の薄い国民も多いと思います。
平穏な日々はすぐに崩れます。
忘れてはいけない心。受け継いで行かなければいけない気持ち。
それが大切です。
経験をした人たちが居なくなったとしても日本の戦後は終わりはありません。