ポルノグラフィティと私たち

 7日8日で、ポルノグラフィティ。東京ドーム日本ロマンスポルノ『神VS神』のライブが開催されました。夫婦で参戦して大いに盛り上がり、感動の2日間でした。

これも、ポルノグラフィティのお二人のおかげだと感謝しています。

ポルノグラフィティへのきっかけなのですが、

私の奥さんは仕事が原因で心の病気になってしましたました。ほとんど寝たきりの毎日でした。

2000年頃からテレビでポルノグラフィティを知って、それを楽しみに生きて来たと思っています。

2003年頃、皆さんもご存知の『鋼の錬金術師』をきっかけにそのファン熱は一気に高まってきたと思います。

でも、奥さんには外に出ることも、人混みに出ることもできないそんな状態でした。

それからさらに3年の月日が経ち。

横浜ロマンスポルノ06キャッチザハネウマ、までライブ参加を見送っていました。体調面で人混みに行くことは、ほぼ不可能だったからです。

最初の参加は、この事はいけないことですが、オークションで通路側の席を買っていました。

やはり、両サイドを人に囲まれると体調が悪くなるので、端の席になる様にわざわざ高額のチケットを買っていました。

でもやはり転売屋から買うのはよくないので、チケットを一般で購入して端の席になる様に願うばかりでした。

端っこではない場合は、主催者に相談することもしばしばありました。当時は精神の病気はほとんど認知されておらす、なかなか敷居の高いものでした。

お願いして、車椅子エリアで二人並んで立ちもせず、手も遠慮気味に振る事が多かったです。

それでも奇跡的に端が取れた場合は、奥さんは嬉しそうに手を振っていました。

実は今でもこのことは続いていて、毎回お願いしています。最近は入場の時ではないと席がわからない様になり、若干の不安はありますが、主催者に相談すると車椅子の席で鑑賞できる事が出来る様になったのです。

多分これは自分自身がこのエリアに来ないと、一生わからなかった事だと思うのですが、車椅子のエリアには恐らく色々な事情の人が来ています。

単純に車椅子の人ばかりではなかったのです。そう考えると、ポルノグラフィティの音楽がいかに人生に大きな希望と、勇気を与えられているかが分かったのです。

前にも書きましたが、キャッチザハネウマで、サポートメンバーだったバイオリンニストNAOTOさんを知り、奥さんは急速に好きになっていきました。今ではもう10年以上のファンになるのではないでしょうか。NAOTOさんにも沢山の安らぎと、頑張らなくてはと勇気をもらったのです。そのNAOTOさんを知るきっかけになったのも、ポルノグラフィティでした。

ポルノグラフィティとNAOTOさんの双方のライブに行く様になってから、奥さんも大分元気になって今に至ります。

多分、ポルノグラフィティに出会ってなければ、私たちの人生は悲惨なものになっていたと、確認を持って言えます。

そして、ファンクラブに入ってからは、しまなみロマンスポルノ。大阪カウントダウンライブ。

そして本日の日本ロマンスポルノと続いていきます。

現在では、主催者に相談してもとても親切に相談にのってくれて、現場でのスッタッフさんもとても親切に対応してもらえます。

10年以上前に、ポルノグラフィティ以外のコンサートでとでも辛い思いをしたこともあります。

精神の病気なんて何だそれみたいな感じでした。

話は戻り、今回の日本ロマンスポルノではとても感動的な演出がありました。

少し遠ざかっていた、バイオリニストのNAOTOさんが久々にポルノグラフィティのライブに参加したのです。

前を読んでもらった様に、NAOTOさんファンでもあります。

奥さんは目の前のシーンに目頭を押さえていました。

ここ10年ぐらい待ち望んでいた事が目の前に現実となったのです。

となりにいた、自分でさえ感動したぐらいです。

いままでどんなに辛い時をどれだけ、ポルノグラフィティとNAOTOさんに助けてもらったことか。

ここ何十年がここで一つになった気持ちでした。

このライブでどれだけの素晴らしい景色、一体感。そして大声を出して楽しんだのか。

もう、感謝しか言葉が出てこないです。

次のライブも参戦します。

あのロッカー。ポルノグラフィティが闘っている限り。