報道は正義か

関西テレビのガソリンスタンド割り込み事案。

昨日の時点で自分もTwitterで知り、そのツイートをリツイートしました。

よくよく関西テレビの言い分を聞くと、同情する感じもありますが、これとそれは別問題。

今でもガソリンスタンドに長い長い列ができ並んでいる車も沢山います。

通常、関西テレビでは中継車は夜に給油する決まりになっているそうです。

でも、取材の関係などで給油する機会を逃がしたとか。

このままでは燃料切れで中継できなくなり、番組に穴をあけてしまう。

そう思って焦っていたのかもしれません。

でも、その中継車に乗っている責任者が、自分たちは報道なんだから、今の現状を伝える使命がある。沢山の人に情報を伝える為には、ガソリンスタンドに並んでいる人の気持ちを犠牲にしてもかまわないと思ったかもしれません。

報道という、正義を振りかざした行動ではないだろうか。

しかも関西テレビは震災を経験しているのに、被災者の気持ちを全く考えていない行動に残念でならない。

時間が経つとそんな大切な気持ちを忘れてしまうのだろうか。

被災地では取材人が邪魔でしかたない
、報道のヘリコプターの音がうるさくて、町内放送が聞こえない。

そんなことを言われている。

もう一度報道は誰のために、何のためにやっているのか、原点にもどる必要があるように思う。