今日は新撰組の日だそうです。
世の中、新撰組の日は色々なタイミングで日にちが分かれます。
新撰組の前の壬生組を結成した2月27日が新撰組の日と言うのもあります。
3月13日の場合は、東京都日野市観光協会が制定しました。後に新選組となる浪士隊が会津藩御預となったことに由来だそうです。
自分の場合、幕末は新撰組派であり、篤姫派です。
でも、徳川が好きなわけではありません。
ただ単に倒幕側派ではないだけです。
だからといって、坂本龍馬や西郷隆盛が嫌いなわけではありません。
あえて言うなら長州藩(今で言う山口県)のやり口が嫌いと言うべきでしょうか。
戊辰戦争で完膚なきまでに攻撃し、しかも嫌がらせで、今で言う会津若松市から福島市所在地が変わっています。
一つの基準として県名と県庁所在地が同じ場合は倒幕派の県、山口、鹿児島。幕府側は違う場合が多いです。仙台、盛岡、水戸。青森と福島、山形は例外ですが。
話はもどり。
新撰組と、篤姫にはなぜか散り際の美学のようなものを感じます。
倒幕よしとせず、五稜郭で最後まで抵抗した土方歳三。
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江戸城開城でも、最後まで凛とした姿勢の篤姫。
散ってもそこにはプライドがあり信念がありました。
今の真田丸はその逆で、徳川に滅ぼされる豊臣派についた、真田幸村。
そこにはやはり、日本一の兵(つわもの)と言われた男のプライドと信念があったと思います。
まさに、散り際の美学なのです。