日曜日のノンフィクションで被災地のある話を取り上げていました。
津波にのまれた学校の校舎を、保存するのか。解体するのか。
中学生の少年は言います。
この学校に来ると、友達との思い出を思い出せるんだ。
例えば、階段で話をした事を、思い出せるらしい。
変わり果てた学校でも、今はいない友達を想わせてくれる大切な場所になっている。
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言い方を変えるなら、学校生活が人生のすべてだったのだと思う。
それが震災であっという間に全てなくなってしまった。
周りの環境も変わり、生活も一変してしまった。
思い出を大切にしたいから、学校を残してほしいとうったえている。
この少年ばかりではなく、ほかの生徒もうったえている。
大人にしたら、今の不自由な生活をさせられている震災のことは少しでも忘れたい。
だから、震災の爪跡の学校は早く解体したいのだ。
どっちが正とか、わからない。
どちらもわからないでもない。
話は変わる。
明日は3月11日。
特別な日の人もいると思う。
その11日の日に埼玉県のある学校では卒業生を祝う給食を出す話がでた。
するとある教師は11日は鎮魂の日。
お祝いをするべきではないと、教育委員会に言ったらしい。
教育委員会も事前に準備していて、明日の給食の内容は変えれないとした。
この話も先ほどの学校の校舎と同じ、どちらが正しいとか判断がつかない。
確かにいまだに仮説住宅等に住んでいたり、他県に避難生活をしている人はまだまだ多い。
アンケートでは7割の人は、未来の生活設計を見いだせていないと答えている。
震災後はまだまだ現在で進行している。
5年経ったからと言って忘れてはいけない。
でも、卒業生の11日は一生のうちのたった一日だけ。
その日は無条件でお祝いされていいのではないだろうか。
自粛、自粛で一生の一日が辛い日の思い出になってしまうのは可哀想な気がする。
それこそ給食で被災地の産物を食べ、話が弾む方がよいような気がする。
それが食育と思うのどけれど。
誰もバカ騒ぎするわけではない。
ただ思い出が欲しいだけなのだ。
復興庁2月現在。
全国の避難者。
174471人。
真の震災後は、果てしなく遠い。