戦後、70年という時。
何故、日本は戦争に負けたのか。
このテーマは決して、勝った負けたの話ではない。
戦争の始まりは、少なくとも戦う大義名分があった。
だがその戦いも、苦戦と共に大義名分はどこかに消え果てていた。
今では侵略戦争と言われ、誹謗の話だ。
だが、最前線の兵士は侵略をするために戦ったのか。決してそうではない。
元兵士は言う、この苦しい戦いを勝たなくては日本は駄目になる。自分たちの世代でこの戦争を終わらせないと、次の世代が同じ思いをする。
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だから、戦うのだ。
特攻隊、学徒出陣と若い世代が、戦火に身を投じることになる。
この時点で日本は負けている。
元兵士の戦いの意味が無くなっているからだ。
だが沢山の民間人の命を奪った原爆により、戦争は終わる。
これは敗戦だか、元兵士は戦いに勝ったのだ。
これで、次の世代、若い世代が死なずにすむからだ。
戦う意味はどこにもないようで、実は一人一人の兵士の心、国民の心にあったのだ。
若い人の命を救う戦いなのだから。
命を助けられた世代から、70年。
日本はまた、大義名分のない戦いに身を投じようとしている。
暑い夏。靖国に眠る250万柱の思いは、また、数人の政治家によって踏みにじられようとしている。
実は日本は今、戦争に負けようとしている。
若い世代を戦地に送ろうとしているからだ。
実は戦わない日本が、世界の抑止力になっているのだ。
戦わないこそが、勝利なのだから。