最近までこの人を思い出すことはなく、時は流れました。
誰だったか忘れるほど、風化していました。
東日本大震災が発生時に福島第一原発の元所長です。
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これを言われてもピンとこないくらい、風化は進んでいるのです。
当時、原発事故の現場の陣頭指揮をとっていた。
想像を絶するほどのプレッシャーとストレス。
上からは叩かれ、下からは突き上げられる毎日。
人物は誰にでもとても優しく、人望があつかった。
それ故にみんなもついてきたのかも知れない。他の人が所長ならば、今は別な事態になっていたかもしれない。
海水注入の中止を本社から命令されても、現場で判断し命令を無視した。
その事には賛否両論はあるけれど、結果としては良い結果だった。
命令は絶対だ。
しかも、福島だけではなく近隣県にも影響がでるかも知れない、相当高度な判断だったろう。
所長は体調の不調をおして、現場で指揮をとっていたが、人間ドックで癌が見つかり、その後脳出血で倒れ、もち耐えたものの、容態が急変し、2013年7月9日に亡くなっている。
日本の技術者の鑑であり、人間としても尊敬する人物だと思う。
奮闘する社員の誠意と責任の人物のひとりだ。
東京電力の緊急事態を真っ正面からぶつかりクリアしてきたのは、東京の本社で立派な椅子に座っている重役ではなく、現場の名もない社員だ。
福島原発所員全員のデスマーチはまだ、続いている。
毎日、不自由なく電気を使えて、スマフォでlineをして、テレビを見て笑えるのも、吉田元所長と現場での社員のデスマーチのうえになってるのを忘れてはいけない。