父の日に想うこと

父が生前言っていたことに、都庁の溶接をして、造ってきたとお酒が入ると言うことがしばしばあった。

自分の実家は、青森の田舎の稲作農家だ。
冬になれば仕事が無くなり収入はなくなってしまう。貯金を食いつぶしての生活だが、それでは間に合わず、父は出稼ぎに東京に行くのだった。

父は農家の長男のわりには、米作りより機械いじりが好きで、それもあってか溶接の免許を持っていた。

その免許があるので、田舎者でも建築業で仕事があったのだった。

ある年の仕事で都庁の庁舎建設に携わり、鉄筋のどこかを溶接していたのだ。

庁舎の建設には、受注会社の孫受けならぬ、玄孫受けぐらいで全く受注会社の名前も知らない人たちが、全国から出稼ぎにきた人が、汗水流して造ってるのだ。

父もその内の一人だった。
そして、出稼ぎから帰って来て、お酒を飲むと息子に自慢するのだった。

その息子も東京で就職し、受注者の子供受けぐらいで、都庁で仕事をすることがあった。

どこをどの様に溶接したかは、息子の自分には分からないが、ほんの少し溶接部分だけど、父親が造った庁舎で息子は働いている。

でも、残念なことに、そのことを父親に話す機会にめぐまれず、その事実を父は知らないまま、他界している。

自分の勝手な想像だけど、きっと喜んでくれたに違いない。少しでも携わった現場で息子が働いていたのだから。

今は都庁で仕事をすることも無くなったが、新宿の副都心を通り都庁を見ると、たまに思い出す。

庁舎という、とてつもなくデカい父の形見があることを。