東京ではじめて恐怖を感じたとき

20年前のあの時の事を思い出していた。

社会人2年目の自分は慣れない、満員電車に揺られていた。

その日もいつもと変わらない車窓をぼんやり眺めていた。

京王線から都営新宿線に乗り換え市ヶ谷駅で地下鉄有楽町線に乗り換えた。

しばらく進んでいくと車内のアナウンスで只今、丸ノ内線、千代田線、日比谷線は異臭が発生しており、全線で運転をとりやめております。

その時は地下鉄に乗るのもそれほど慣れていないため、東京は異臭がするだけで電車に止まるんだ。と思うぐらいだった。

目的地の新富町駅に着き客先の会社に出社した。

その日は何故か客先の担当者が出社が遅れていると言われ、担当者が居なければ、作業は始められない。
待つしかなかった。

ふと気づくと、消防車か救急車のサイレンの音がなっている。

しかも結構長い時間だ。

田舎者の自分はサイレンを聞くと近くで火事でもあったのかなぐらいしか思わなかった。

暫くして、担当者が来ていないか確認する。まだみたいだ。

椅子に座り外を見た、真っ蒼な空。すがすがしい気分になる。

でも何だかおかしい、黒い物体が空に浮いている。
しかも一個や二個ではなかった。

それによく見るとそれはヘリコプターだった。しかも4、5機飛んでる。

あー。さっきのサイレンの火事を取材してるんだ。

何の疑いもなくそう思っていた。

また、様子を見に行く、すると事務所内が何だか、騒がしい。

それでも仕事だ。

聞きに行くと、どうやら担当者は運転を見合わせてる地下鉄の利用者で、迂回しているようで、来るまでに時間がかかるらしい。

あー。今日は仕事にならないな。
そう諦めて戻ろうとしたとき、何だかみんなテレビを見ている。

自分も何気に画面をみると、目に飛び込んできたのは、日比谷線の築地駅のあのシーンだった。


救急車や消防車が何十台も止まっていて、救急隊員が意識がもうろうといている人を搬送していた。

そのあとに知ったのだけど、新富町駅は築地駅の北に位置し、目と鼻の先の距離しか離れていない。

これで合点がいく。

緊急車両のサイレンは築地駅に向かう、救急車や消防車のサイレンで、ヘリはそれを取材する、ヘリコプターだったのだ。

この時でも、今何が起こっているのか判らなかった。

お昼近くになり、ようやく担当者が出社してきた。

表情は疲れているように見えた。

午後からは仕事を始められるようになった。

仕事を始めてもなんだか落ち着かない。

例のテレビのことだ。今はスマフォでニュースをすぐ見れるが20年前はそんなものはない。

事務所内ではみんなテレビに釘付けだ。ここから記憶があいまいになる。

オウム真理教の無差別テロと知ったのが、いつのタイミングだったのか思い出せない。
5時までどう過ごしたのか、記憶がスッポリ無くなっている。

まるで記憶を故意に消したかのようだ。

5時になり作業終了となった。

朝来た道を引き返す。

あ。そうだ会社に行かなきゃと思った。

地下鉄に乗っていたのだから会社の人たちが心配してるかも知れない。

今思えば、客先なり公衆電話から電話すればよいものを、わざわざ顔をだした。

元気な姿を見せれば安心するだろうと思ったからだ。

会社について中に入ると、同僚は一人しかいなかった。

他のみんなは帰ってしまったらしい。なんだ来てもしょうがなかったか。

すると、残っている同僚からこんなことを言われた。

みんなお前が死んでると思ってるよ。連絡来ないし。
確かに連絡しなかった自分も悪いが、会社として路線は違えども地下鉄に乗っているのだから、客先に安否確認の電話をしてくれても、いいようなものだ。

その時、会社ってこんなものなのかと、思ったものだ。

少しがっかりというより、哀しい感情のほうが強かった。

失意の中家に帰り少し落ち着くと実家に連絡ししてないことに気づいた。

両親が心配していると思い、電話をした。
東京を知らない母親に地下鉄は何線でもって同じだろう。

地下鉄を乗っていたというとまた、心配するかもしれない。

あまり歯切れの悪い会話をしていると、母親がガスを吸うと直ぐに死んでしまうらしいから、今生きてるって事は大丈夫だよ。

妙に納得してしまう。

今思えば恐ろしい話だ。

紙一重まで行かなくても、霞ヶ関を通っていたらと思うと、恐怖がこみ上げてきた。

テレビであのシーンを見ると、いつも思い出す。
それだけ衝撃的な事件だった。