1ヶ月ぐらい前に、親戚のおじさんから母親が自宅で倒れていて入院をした連絡がありました。
状況としては良くなく、新聞配達員の人が何日も新聞受けに新聞がある事を不審に思い。
警察に通報しました。警察が到着後中に入ると倒れている母を見つけて救急車を呼ぶことに。
倒れて何日か経っていて、あと1日遅かったらダメだったろうと医者に言われたそうです。
コロナ禍の中、病院には親族でも限られた時間しか入れず、県外からなおさら東京からなどもってのほかで、様子を見に行くこともできませんでした。
迷惑とも思いましたが、病院に電話をして、母親の状況を聞くと衰弱はしているものの、緊急的な病気はなさそうな感じでした。
それから1ヶ月経ち、先日退院となりました。
最初に連絡を受けた時は、信じられませんでした。1ヶ月前に母の日に話をした時は元気だったのに。頭の中では最悪の状況を考えてしまいます。
このまま死んでしまったら。父親は10何年前に亡くなっています。しかも孤独死で。
母親も孤独死同様で、死んでしまうかもしれない。
自分の中で、自分を呪う様に責めていました。なんて酷いダメな息子だろうと。
それに今まで経験のしたことのない落ち込み。
これで最後になるかもしれない。
その事ばかり考えていましたが、何とかもりかえしてくれました。
先日、退院後初めて電話で話をしましたが、声もはっきりしていて元気そうではありました。
結局、何が原因だったのかは、はっきりしたことは分かりませんでしたが、急に幻覚が見えて倒れたと言ってました。
それでも死んでなるものかと思っていて、執念で生き、リハビリも頑張ったそうです。
母と話をしていると、自然と涙が出てきます。嗚咽をしては母に心配をかけると必死に、冷静を保とうとしていました。
電話もおわり何かひとつ安心できた感じです。
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でも、高齢の母ですので、自分より先に他界するには変わりはありません。
その時どうするのか。
今から少しずつ考えておかなければいけないと。感じさせる出来事でした。
何で聞いた言葉でしょうか。
親孝行しようと思っても、墓石に布団はかけてあげられない。
普段から少しずつでも親孝行していきたいです。