昔からいじめ存在する。今だってその事はよく聞く。その事で命を絶ってしまったニュースを見聞きすると心が痛む。
そのいじめの経験がある、自分もそのうちの1人だ。
自分は集団ではなく一部の不良に呼び出しをくらってひとけの無いとこでボコられる。
そんな毎日だった。絶望しかない毎日。
そんな不良からは、「先生に言ったら卒業した先輩を連れてきてボコボコにしてやる。」そう脅されていた。
でもそんな毎日も、終わりを告げる。
自分の友達がその事を知り、その不良グループと対立しているグループに言っていじめの現場に踏み込んできた。そこで言い合いになったがそれからいじめはなくなった。
その時のいじめの記憶は、こんなおっさんになっても消えない。多分死ぬまで消えないだろう。

話は最近に戻り、YouTubeである動画を見た。
アメリカ空軍の士官学校で、校長が士官候補生に対してのスピーチだった。
人種差別的な内容を予備校で黒板に書いた候補生いたことに対するスピーチだった。
多様性と言う言葉を使い、相手の多様性を尊重し、その個人個人の多様性によって我が軍は強くなると言う話。
そしてその話はこの言葉で締め括られる。
「他人を尊重して敬意を持って接することができないならここから出て行け」
SNSを利用するのが当たり前の現代。人それぞれの言いたい事、伝えたい事はある。
でもその事を抗議するのではなく、全く関係のないその個人を攻撃する誹謗中傷。
匿名性もあるけれど、相手を尊重し、敬意を持ってSNSでコメントできない人がいる事は本当に悲しい。
誹謗中傷する理由はわからないけど、なんとなく。面白半分。自分の鬱憤晴らしなら今すぐにやめるべきだ。
自分が経験したいじめは、物理的な痛みは今は忘れていても、その時の事は忘れる事はない。
傷つける言葉なら尚更心に深く傷を残し癒える事はない。その傷つける言葉は人を追い詰め、そして本人に取り返しのつかない事を行動させてしまう。
日本のネット社会は最悪だ。途上国ではなく後進国になっている。
他人に向けられた誹謗中傷を、怒りの言葉で非難する事は全く意味がない。
誹謗中傷する本人は当たり前だが、それを助けてあげれなかった周りの自分たちにも責任がある。
それを辞めさせられないSNSの仕組みにも問題がある。
決して、SNSは悪ではない。使っている一部の人間がダメなだけだ。
誹謗中傷している。その人にみんなで言おう。
「他人を尊重して敬意を持って接することができないならここから出て行け。」
みんなが多様性の意味を理解して、相手を尊重してSNSを利用する事を願うしかない。
最後に余談だけど。
前半で自分をいじめていた人間は刑務所に服役している事を風の便りで聞いた。
人の命を奪ってしまった様だ。
自分にはその人に対する感情はない。
だた、人生をかけて罪を償って欲しいそれだけだ。