昨日の話でどうしても付け足したかった話。
身内の中で一番はじめの葬式は親父かたの祖父さんだった。
初めての葬式で戸惑ってばかりいたが、とどこにも世話役の人がいて、喜劇王チャップリンに似た人が色々と世話をやいてくれた。
その中で喪主の挨拶があり、本来は親父がするのが筋なのだけと、そういうのがめっぽうだめな性格だった。
なら、自分の兄貴のがするのだが、葬式にもこないしまつだった。
そこで次男の自分にまわってきた。原稿はすでにチャップリンが書いてくれて、後は読むだけだった。
これも孝行とおもい、うまくはないけど精一杯やらせてもらった。
それから、上京してから珍しく実家に帰ったとき、お袋の実家に行った時だった。
祖父さんは大分足腰も弱くなり、たって歩くのもやっとな感じだった。
それをみた自分は、横になってた方がいいんじゃないの。て言っていた。今思えば何でもっと優しい言葉をかけて挙げられなかったのか、今も後悔している。それが祖父さんと最後の会話になった。
それから暫くたって母方祖父さんの他界の連絡があった。
大した孝行もできない孫だが出させてもらった。
そこでまた例の話がまた出てきた。
喪主の挨拶だ。
でも今度は指名がきていた。
親父の祖父の葬式に出ていた、お袋方の祖母は、自分の挨拶がよかったと、帰って祖父に話し、それだったら自分の時もやってほしいという遺言だった。
その時、姉と話をして初めて知ったことがあった。内孫と外孫という言葉だ。
実は自分と同じ年の内孫が居るらしい。
内孫とは直系の姓を受け継ぐ孫のことで、自分は娘の子供なので姓を継がないので、外孫となる。
挨拶のことで、外孫がするのは珍しいし、
なんとなく、陰の部分のような外孫が、挨拶をできてなんだか気分がいいと姉は言っていた。
じぶんにとってはそのことが逆にプレッシャーになる。あの親父の子だ。そんなに気は大きくなかった。
なんとか大役もすませ帰るとき、やっぱり祖母は元気がないように見えた。
自分は帰るときに祖母に言った。
今回でお金を使ってもう無いから、貯まるまで時間がかかるから、長生きしないと駄目だよ。
自分がかけてあげられたら、精一杯の言葉だった。その時の苦笑いが最後の笑顔になった。
半年後祖母の他界の連絡が入り、また出させてもらった。
今回も遺言で頼まれていた、孝行になればと精一杯させてもらった。
でも、本当は生きているうちに孝行して挙げたかった。
今年の夏も奥さんの実家に帰る。実家に帰る目的は、奥さんの大好きな祖父に顔を見せて挙げることだ。
奥さんもそうだけど、上京している人間はなかなか、身内の死に目にはあえない。それは宿命かもしれない。
奥さんの大好きな祖母の死に目にはあっていない。
あの時の落ち込みようはひどかった。
だからまだ元気のうちにあわせてあげるのが、自分の役目だと思っている。
読んでくれたあなたにThank you。