『快斗。もう。晩御飯食べてから行きなさい!』
玄関で靴を履いていると僕の背中に母からの声が飛んできた。
『適当に何か買って食べるから今はいい。』
それだけ言い残すと、靴を突っかけたまま外に出た。
日中はあんなに暑かったのに、太陽が西の空に沈む頃になると大分涼しくなっていた。
ここは長野県の田舎街。昔は蛍の郷なんて言われていたけど、最近はめっきり蛍を見る機会はなくなっていた。そればかりか、もう数年で限界集落となるのではと、言われるほど寂れてあまり元気のない街になってしまっていた。
でも、今日ばかりは夏祭りがあることもあってか、この街も少しだけ賑わいを取り戻していた。
見渡す限り、水田が広がり家がひとかたまりになって点在していた。その家からは賑やかな声が耳に届いてきた。きっと都会にでた若者が帰省してきたのだろう。大人の笑え声や、子供たちの声が聞こえてくる。
水田を通った風は火照った顔にはちょうどいい。
辺りも暗くなり、心細い電灯を頼りに街の一番高いところにある神社に向かった。近くに来ると夏祭り特有の音が聞こえてくる。
もう少し先に進むと、食欲をそそる匂いが鼻に届き始めてきて改めて空腹を感じる。
神社の少し歩きづらい階段を上ると、普段と違って所狭しと夜店が灯りをつけていた。その店の前にはもう人だかりができていて、店主が忙しく客を捌いていた。
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何を食べようかと僕も参道を奥に歩いていると、その人は参道の真ん中に立っているだけなのに、何か違和感を感じてしまう。
髪の色がベージュで、頭の後ろで一本に纏められていた。纏められた髪は背中の中程まで伸びていて、ゆるくカールしている。
白のワンピースを着ていて両肩だけが出ているデザイン、スカートの丈は膝より上で時より吹いてくる夜風にひらひら揺れていた。ほっそりとしているためか身長か高く見えて、ワンピースがとても似合ってみえた。
先ほど感じる違和感は、この田舎には居ない。不釣り合いな都会の格好をしていたからだった。
なぜか気になって、後ろから見つめているとその女性は急に振り返って、
『なに、私の背中に何かついてるの?さっきからジロジロ見て。』
その女性は僕の前まで歩いて来ると、人差し指で僕のおでこを小突いてきた。
近くに来るとそれほど身長は高くはなく、僕より少し低い。それでも女性の中では高い方に入るだろう。
女性は腰に両手をあてて、ジト目で見ていて、僕からの言葉を待っている様だった。
『いや。別に・・・。ただ、こんな田舎には珍しい格好だなと思って。不愉快に感じたら謝るよ。』
『別に、気にしてないわ。それより君、高校何年生?』
『え?』
『え?。じゃないわよ。高校何年生て聞いてるの。』
顔をみると、とても目鼻の整った顔立ちで、いわゆる美人と言われる部類に入るかもしれない。そのため年上に見えた。
『2年生だけど君は?』
相手は少し驚いて、
『私に興味があるの?へー。ナンパされちゃうのかなー。』
『いや。別に・・・。教えたんだから聞いてもいいかなと思って』
『そう。じゃー。フェアに行きましょ。私も高校2年生で名前は姫川ほたる。よろしくね。』
そう言うと、右手を出してきた。
『僕は、日暮快斗。』
ズボンで手を拭いた。
彼女はまたジト目で僕を見てきて、『ちゃんと手洗ってる?』
『もちろんだよ。でも今はちょっと汗ばんでいるかも……。』
しどろもどろしていると、彼女から僕の手を握ってきて、
『よろしくね。』
風が吹いてきて、彼女からとてもいい匂いが届いてきた。
『よろしく……。』
僕は。
『ねぇ。君て結構積極的なんだね。社交的というべきなのか。』
そう言うと。
『その。”君”てやめてもらえる。さっき名前紹介したよね。』
『じゃ。姫川さん。』
『なんか違うんだよね。なんか他人行儀な。』
いやいや。さっきあった他人だろ。
僕は、心でそう思ったけど、口には出さずに。
『ほたるさん。』
『ほたるて名前あまり好きじゃないの。”姫”て呼んで快斗。』
普通は姫なんて変だと思うけど、さっきからの姫の行動や言葉使いで、なんとなく納得してしまう自分がいた。
『じゃ。呼び方も決まった事だし。お腹空いたから、なんか奢って。』
そう言うと、僕の手を強引に引き寄せて走りだした。新手のカツアゲにあったような気分だった。
結局、僕は焼きとうもろこしを、姫はいちご飴を買って神社のベンチに並んで座って食べていた。
もう高校生なのに、いちご飴を嬉しそうに舐めている仕草は幼さを感じる。大人になりきれていない、少女のようだった。
『学校楽しい?』
突然、姫が聞いてきた。
『まぁまぁかな』
『なによ。まぁまぁて。』
姫は僕を少し叱る様な目つきで見ていた。
『平凡というか。変わりばえがないんだよ。毎日朝起きて、楽しくもない授業を受けて、愛想笑いをしながら友達と話して、また、家に帰っている寝る毎日。でも平凡が一番だよ。』
『おじいちゃんみたいね。』
『どういう意味だよ。』
僕は姫の方を見て少し反抗的に聞いていた。
『若者らしくないなー。て思っただけ。SNSとかしないの?。』
『僕はダウンロードしているけどしないなー。周りはしているみたいだけど。学校で会ってるのに家でも愛想笑いするのは嫌なんだ。』
『姫はSNSとか‥‥。』
『辞めたわ。』
僕の質問が終わる前に、姫は遮ってきた。そればかりか表情が険しく見えた。
『根拠の無い噂。誹謗中傷‥‥。あんな銀色の板に翻弄される人生はもう辞めたわ。私は私らしく生きていく事にしたの。周りの評価や人の目なんて気にしないことにしたの。』
『そうなんだ。なんか悪い事を聞いちゃったね。ごめん‥‥。』
『ばか。謝ることなんかないのよ。始めに聞いたのは私なんだから。』
そういうと。僕の方を見て、笑顔を見せた。僕は一瞬ドキッとした。普通の男子高校生なら普通に思うだろう。可愛いって。
『周りからは変わり者なんて言われる様になったけど。おかしいのは周りの人間たちよ。私は私。これが普通なのよ。』
『そうかー。なんか羨ましいな。僕はそんなに強く生きれないや。周りに流されて、自分なんてどこにもいないんだ。』
『ばか。何言ってんの。快斗は私の前に確かにいるわ。そして私の話を聞いてくれている。』
僕は、なんだか安心というか。嬉しい感情になっていた。僕の存在を認めてくれた様な気がして。
『快斗はスマホ持ってる?』
『一応持っているけど』
『なによ。一応て。』
『僕のスマホなんて親からの連絡しかこないから。あまり意味はないんだ。ネットもゲームもしないし。』
『宝の持ち腐れね。スマホが可哀想だから私の連絡先を教えてあげる。フルフルするからアプリ立ち上げて。』
僕は言われるがままにアプリを立ち上げて、スマホ振っていた。友達候補に出てきたので許可をした。姫も同じことをしていると思う。
姫のスマホはいかにも高校生らしいカバーが付いていた。姫は何かを確認するとそのままスマホをしまってしまった。
僕も、しまおうとすると姫が僕からスマホを取り上げた。
『ちょっと。』
『へー。快斗の待ち受けこんな感じなんだ。で誰この子?』
『バーチャルYouTuberの子だよ。』
『そうなんだー。動画は観るのね。』
『普通の男の子はアイドルとか、女優さんとかじゃないんの?』
『僕もそうだったけど、観るのを辞めた。その子無期限の休養とかで、もう更新されなくなったんだ。』
『きっとその子‥‥。いやなんでもない‥‥。』
姫は下を向いて、何かを言いたそうだったがそのまま言葉をのみ込んでしまった。
『あ。』
僕は声をあげて、指をさしていた。
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その指先には微かな光が、一つ。いや二つ、三つと増えていった。
『綺麗ー。初めてみた。ホタルってまだいるのね。』
『僕も久々に見たよ。昔以来だね。』
ふたりでしばらく見ていたけど、一つ消えて、また消えて、そこにはもう何も無くなっていた。
『やっぱり、消えて無くなるのよ。そして、みんなから忘れられていくの。』
『そんなことないよ!!』
僕は突然声をあげていた。
姫は僕を見つめて微動だにしない。
『姫は確かにここに居て、話をしていて、僕の記憶に残ってる。消えて無くなったりはしない。』
『ありがとう。』
そう言うと立ち上がって歩き出した。
僕も後ろをついて行った。
暗くなっていて、2人で心細い街灯の道を並んで歩いていた。
『私は、私の事を誰も知らない所に来たかったの。そして、自由になりたかった。でも私はやっぱりもとの居場所に戻るわ。』
そう言うと、スマホを出してフリックしていた。
『ここに来てよかった。そして快斗に会えてよかった。』
車が近づいてきて、僕たちの前に止まった。
運転手が降りてきてドアを開けた。姫は車の中に消えて行った。
無機質にドアの閉まる音がした。
『ねー!姫って女優の姫川ヒカリでしょ。無期限の休養に追い込まれた‥‥。』
ドアの窓が開いて、姫は微かに微笑んで自分に手を振っていた。でも僕は手を振り返してあげれなかった。
姫の頬に泪が流れていた。
そして、車のテールランプが遠ざかっていった。
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その場に立ち尽くしていると、ポケットのスマホが受信の音がなった。
見てみると、姫からのメッセージが来ていた。
『今日あったことと。私のことは忘れなさい。』
僕はスマホを強く握ると、家に向かって歩き始めた。
数日後、テレビやネットではあることで騒然としていた。
女優。姫川ヒカリ電撃引退。
ネットでは根拠の無い憶測が飛び交い。テレビではコメンテーターがありもしない事を得意げにコメントを披露していた。
テレビには姫と事務所関係者が映り、フラッシュの音が話し声を遮るぐらい、沢山の記者がカメラに収めていた。
『かねてより、噂のあったアイドルのTさんと何か関係があるのですか?。一部報道では破局したとか。』
『女優のSさんと不仲から、相手事務所からの抗議により引退という話もありますが?』
芸能リポーターだろうか。視聴者の好奇心を満足させるためか、矢継ぎ早に質問をしていた。
事務所関係者が経緯を説明しているようだが、はっきりした事は明言していなかった。ただ、体調不備ということだけだった。
姫は黒のワンピースを着て、うつ向いていた。顔色も青ざめている様に見えた。
司会が以上で会見を終える事を伝えた。
二人は立ち上がり会場を出て行こうとした。
『ファンに何かありませんか!突然の引退に戸惑っていると思います!』
姫は暫く立ち尽くしていたが、正面を向いて顔を上げた。姫は目を真っ赤にして、
『この度は、私のわがままにより‥‥。この様なことになり申し訳ありませんでした。』
姫はそれだけ口にすると、頭を長い間下げてそして会場を出て行った。
テレビでは数日間その記者会見の内容を何度も放送していて、コメンテーターがネガティブな発言を繰り返していたが、次第に沈静化してテレビでは取り上げなくなった。
姫のことを取り上げる番組もなくなり、そして、姫の存在は忘れ去られて行った。
僕はベットに寝転んで天井をぼーと眺めていた。あの時の事が思い出される。
僕は別れ際の、『私のことは忘れなさい。』そして、姫の微笑みの中の泪の意味。
いくら考えても答えは出なかった。憶測で答えを出すのは、テレビの中のコメンテーターと同じことをしていることに僕は気づいていた。
僕は玄関で靴を履いていた。
夏休みも終わり今日から二学期が始まる。また、つまらない日常が帰ってきた。
教室に入ると僕の席の隣に、一学期にはなかった席があった。不思議には思ったけど興味はないので、すぐに席に着くと外の校庭を眺めていた。
引き戸の開く音がして、担任が入って来た様だった。暫く足音がして聞こえなくなると、
『今日から二学期が始まるわけだか、その前にみんなに新しい仲間を紹介したい。』
僕は全く興味を示さず肘をついて、相変わらず校庭を眺めていた。
しばらくの沈黙のあと。その子は自己紹介を始めた。
『二学期から転校してきました。姫川ほたるです。皆さんよろしくお願いします。』
僕はどこかで聞き覚えのある名前に、顔だけ正面を向いた。
そこには、髪をボブショートに切って髪も落ち着いた色になっている。姫が立っていた。
『じゃ。姫川さんの席はあそこの空いてる席だから。』
姫は一礼するとこっちに歩いてきて、席に着いた。
誰も何もリアクションがなかった。驚いているのか姫川ヒカリという事が分かっていないのか。
僕は、なんて声をかけていいのか思いつかず、姫を見ていた。
『私の顔になんか付いてる?相変わらず、快斗はジロジロ見てくるのね。』
『普通はこのリアクション間違ってないと思うよ。』
『私の事、覚えてくれたんだ。ありがとうー。』
『でも。どうして?。』
『快斗がいるこの街が好きになったの。ここなら‥‥。きっとこの街なら私らしく生きられるんじゃないかと思って。』
『よろしくね。』
微笑んで姫は右手を出してきた。前の明るい姫に戻った様だった。
僕は、スボンで手をこすった。
姫はジロ目で、
『快斗、相変わらず手洗ってないの?』
『そんなことはないよ。』
僕は自分の方から、姫の手を引き寄せて手を繋いだ。
ふたりでクスクス笑い出して、そしてふたりで声を出して笑っていた。
周りは不思議に思っていただろう。初対面のはずなのに前から友達の様な振る舞いのふたりに。