流された思い出。

いまでも奥さんはいいます。

津波で思い出は流されてしまった。

あの日の津波で奥さんのお母さんの実家は津波にのまれました。

幸いにも怪我、命に関わる被害はありませんでしたが。

家はボロボロになり住めるような状態ではなく、取り壊して再建しました。

奥さんがその再建した家に行ったのは、震災から一年以上経ってからでした。

交通の常磐線は大きな被害を受け、今なお修復が行われています。

行きたくても行けない、そんな日が何ヶ月も続きました。

奥さんの両親もショックを受けるといけないので、まわりが落ち着くまで無理に奥さんを連れて行こうとはしませんでした。

被災する前の家の大きさから何倍も小さくなった再建した家に行ってきたのです。

そして、帰ってきて自分に言ったことが、冒頭の内容です。

広くなってますが、被災前はここにたくさんの家が建ってました。

津波で壊れた堤防は修復されています。電柱が見えますが、ここにはずっと向こうまで家が建ち並んでいました。(自分が思い出の地に行ったのは今から2年半ぐらい前。その時の写真です。)

その時から時間は止まってしまったようです。

あの思い出の家をもう一度見たい。

時々ですがそんな事をぽつりと言ったりします。

でも、何もないのです。

それからまた月日が流れ、震災から5年後の今。自分がYouTubeを見ていて、何気に思い出の地を検索してみると、ヒットしました。
その映像は地震発生から2日ぐらい経過した映像でした。

見慣れた風景のはずなのに、全く変わってしまった風景でした。

映像に映っているのは一階だけえぐられ家の骨組みだけになっていて、まだ横転している車も数台ありました。

見終わり最初に戻ると。 

あれ!?

さっき気づかなかったのですが、そこには見覚えのある家が映っていました。

そう。奥さんの思い出の家です。

瓦は落ち屋根が見えていて、一階部分は不自然に窓側開いていました。

一瞬奥さんに見せようとも思いましたが、奥さんの思い出の家と震災後の家はイコールではありません。

ただ、ショックあたえるだけと思い、自分の中にそのまま留めて置くことにしたのです。

奥さん自身がそれでも見たいと言う日まで。