倫太郎師匠の想い

今回は山田倫太郎くんの文を載せさせてもらいます。

倫太郎師匠と言われ、最近話題の男の子。

とても、おしゃべりでひょうきんな子だけど、本人が体験した出来事は、一文では表現できない。

そんな師匠が書いた文が命の尊さを考えさせられます。

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皆さんは命の尊さについて考えた事がありますか?

命はとても尊い物です。しかし最近、自殺のニュースをよく耳にします。僕はその度に怒っています。僕がこんな命の尊さについて考える理由は、四つあります。

第一に、僕は半分死んだ状態で生まれて来ました。けれど、主治医の安河内先生をはじめ、多くの人々に支えられて今まで生きる事が出来たからです。

例を挙げると、二才の頃、家で心肺停止状態になりました。

近くに居た母は人工呼吸、祖父は心臓マッサージ、祖母は救急車を呼んでくれました。救急車が来た時に、僕は息を吹き返しました。その後は近くの病院に運ばれて蘇生してもらい、子ども病院に運ばれ、元気になりました。小さい頃の事なので、はっきり覚えていないけど、家族はこの事を話す度に「大変だった」と言います。それほど人に支えられているのです。

第二に、僕も生きる為に頑張って来たからです。手術、リハビリ、水分制限、体重のコントロール等です。水分飲んでいい量が1リットル未満だった時もありました。その時は、氷や果物を食べて喉を潤していました。小さい頃は飲めないのが辛かったです。飲んで良い量が増えた時の喜びを今でも覚えています。

第三に、小学一年の冬に入院した時に、病棟の子が亡くなり、その時のその子の母親の声がとても悲しそうだったからです。

真夜中に急に遠くの病室からその子の母親の「もう少しでお父さんが来るからしっかりして」と言う声がしました。けれど、お父さんが来る前にその子は亡くなってしまいました。僕は、その後退院しましたが、今でもその出来事を覚えています。このように、自分が死ぬと、家族や周りの人が悲しみます。

第四に、母親が弟を身籠っている時、母親がとても大変だったからです。お腹が大きいので、靴下を履く事、ボタンを買う事が自分で出来ませんでした。僕は、母親に靴下を履かせてあげたり、ボタンを買ってあげたりとお手伝いをしました。母親のお手伝いを通して、僕を身籠っている時も、こんなに苦しいのに、これに耐えてくれたんだと思い、命を大切にしなければいけないんだと感じました。

皆さんのお母さんも、10ヶ月間こんなに苦しい思いをしても、皆さんに会いたいと思う一心で頑張ってくれたのです。そして、生まれてからも多くの人々に支えられて、今の自分があるのです。

けれど中には、「自分の命だから、自殺なんて自分の勝手」と考える人もいるでしょう。しかし、人間は一人一人が互いに支え合って生きています。自殺は周りの人を悲しませるのでいけません。以上の事から、自分の命を大切にして下さい。他の人の命も大切にする事が出来ます。

出典 https://books.google.co.jp

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皆さんはこの文をどう思われましたか。

自分はいかに懸命に生きていないかを痛感しました。

倫太郎師匠は自分の病気についてこう話しています。

その人の「個性」だと。

こんな考えが出来る中学生。

自分の人生がいかに薄っぺらいことに恥ずかしく思います。

自分には前に進める足があります。

自分には幸せを掴める手があります。

自分には未来をみれる目があります。

自分にはひとと話せる声があります。

自分には全身を巡れる心臓があります。

五体満足に産んでくれた母に感謝します。

不平不満ばかりではなく、その先を目指したいと思うこの頃です。